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【鹿児島】Re:鶴丸城と第七高等学校造士館:カラー化した絵葉書

白黒絵葉書のカラー化

弾痕と舊鶴丸城跡 現今第七高等学校



鶴丸城と第七高等学校造士館

彩色前の絵葉書はこちら
時代考証(未)現在は国道10号が目の前を通り、この石垣の向こうは現在の県立図書館である。この門は二の丸御門の跡で、第七高等学校造士館の時代のもの。
薩摩8代藩主・島津重豪が安永2年(1773年)、鹿児島城二ノ丸御門前の約3400坪の敷地に、儒教の聖堂である「宣成殿」、講堂・学寮・文庫などを建設した。これが「造士館」の始まりである。
現在の鹿児島大学の前身である。
wikipedia

嘉永4年(1851年)、11代藩主となった島津斉彬は停滞していた造士館の改革に乗り出した。従来の儒教と武芸教育にくわえて西洋の実学を学習の中心においたのである。教育方針は「修身・斉家・治国・平天下の道理を究め、日本国の本義を明らかにし、国威を海外に発揚すること」(安政4年(1857年)告諭)であった。緊迫する情勢に備えて、現実に対応できる素養のある人材の育成を急いだのである。桜島に造船所、仙巌園に西洋科学技術研究所及び製作所として集成館を建設、火薬、ガラス、塩酸などの試作を行い、電信線を開通させ、大砲・軍艦の建造など多大の成果を上げた。斉彬の死後、一時衰えたが、島津久光が藩政の実権を握ると、教育内容の充実が再開され、万延元年(1860年)には中国語研究のための「達士館」、元治元年(1864年)には西洋式軍学や技術を専門に学ぶ「開成所」が設けられ、大勢の軍事技術者や英学者の養成に貢献した。

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