【鹿児島】Re:磯 琉球人松:絵葉書

鹿児島市 磯街道 琉球人松

元の絵葉書はこちら

琉球からの船が、目印にしたと言われる松の木。この松は枯れてしまい、那覇市から贈られた琉球松が道路際に石灯籠とともにある。
他説としては、花見の時期に琉球の人がここで歌舞を催す風景を見に来た人がそう呼んだという説、琉球からの船が、松の横の海岸に停泊したからそう呼ばれた説があるが、船を停めるならもっと手前に港があると思うのだが・・・。
カラー化すると、現在は国道10号線がまだ舗装されていない土の道で磯街道である。
撮影は、鹿児島市側から仙巌園、国分へ向かう方角から撮られている。
右手は、鹿児島湾(錦江湾)越しに大正3年(1914年)桜島の大正大噴火から間もない頃であろうか。
戦後、松食い虫の被害にあい、弱っていく松の木を惜しむ人達が駆除に努めたが、その甲斐なく枯れてしまった。その後、昭和28年(1953年)に当時の第14代勝目清(昭和21年/1946年-昭和34年/1959年)鹿児島市長により切り倒され翌昭和29年に植えられた姫松(数本植樹された内の1本)と、那覇市から昭和48年、祖国復帰(昭和47年3月15日)一周年記念として翌年贈られた琉球松が根付いている。
切り倒された琉球人松は樹齢142年だったそうである。(文化8年/皇紀2471年)光格天皇、徳川家斉が将軍の1811年前後に芽を出した松だが、伊能忠敬が測量を開始し、弟子の手により『大日本沿海與地全図』が完成する間にこの松の前を通ったのだろうか。
150年近く岩肌で成長した松だが、誰かが植えたのか、自然に根付いたのかは分からないが琉球人松として親しまれた。
この琉球人松であるが、片側1車線の国道10号線沿いのカーブの途中にあり、見過ごすと引き返して見る事が難しい。鹿児島市方面から見に行く場合は祇園之洲から旧磯街道(国道10号線)に入り海が見えたら、右手に注意である。もし見落としたら、仙巌園の観光の帰路に再度見るしかない。

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