「【鹿児島】祇園の洲より桜島を望む:祇園之洲の絵葉書」は2019年06月28日に更新しました。

【鹿児島】祇園の洲より桜島を望む:祇園之洲の絵葉書

0097-祇園の洲より桜島を望む

鹿児島市 祇園之洲

今でも、薩英戦争時の砲台跡や絵葉書に写る松林など当時の風景が残る。
80ポンド爆報(ボンカノン砲)1門をはじめ、6門を装備。イギリスのレースホース号が鹿児島湾内で座礁したが、すでに祇園之洲砲台は破壊されており、薩摩側はなすすべがなかった。周辺は埋め立てられ石橋記念公園、祇園之洲公園などに整備されている。撮影場所は稲荷川河口で、現在は石橋記念公園の移設された石橋がある。
祇園之洲には幕末に砲台が設けられ、市街防衛の要衝であった。
島津斉彬(なりあきら)は祇園之洲など鹿児島湾沿岸に砲台を設け、大砲を磯に設けた集成館の反射炉で造った。世界遺産登録。

文久2年8月21日生麦事件発生。横浜郊外の生麦村で薩摩藩の行列を乱したとされるイギリス人4名のうち3名を薩摩藩士・奈良原喜左衛門、海江田信義らが殺傷したことで生麦事件の解決を迫るイギリスと薩摩藩の間で鹿児島湾(錦江湾)を戦場に薩英戦争が起こる。
戦闘は3日で終息した。
イギリスは、その後薩摩藩との関わりを強めていきます。薩摩藩は、薩英戦争で海外の先進技術に目覚め、国禁を破ってイギリスへの留学生派遣を行うなど、西洋技術の吸収に努めて行った。

絵葉書の祇園之洲は、天保山とともに薩英戦争の要衝となった場所である。

現在の風景

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